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ナビの考え方

このページの見出し一覧
  1. サイト・ナビゲーション
  2. サイト・マップ
  3. ナビゲーションと文書との結合

サイト・ナビゲーション

ホームページ(以下サイト)を作る人も、見る人もサイト・ナビゲーション(以下ナビ)は御存じだろう。それは、疑似タブ式であったり、ページの横にまとめてあったり、上部にあったり、『TOPに戻る』だけだったり。ナビはサイト構築にあたって無くてはならない最低限のものだ。そして、それは見る側だけでなく作り手にとってもわかりやすく、使いやすくなければならない。

では、わかりやすく、使いやすいナビゲーションとは何なのか。

サイト・マップ

サイト・マップ。知ってますね。大手サイトや最近だと個人サイトでも規模が大きければ大概作ってあるサイト全体を見渡すことができる、いわばディレクトリ構造を表したリンク集。実はこれこそが最もわかりやすく、使いやすい、そして作りやすいナビゲーションである。

当然、ただ単に作った文書のリンクを淡々と並べただけでは長すぎるナビはうざいし、視覚的にもうるさい。などと言われかねない。一応この2点についての筆者の考えを以下に記す。※あくまで筆者の考えであり第三者にこの考えを押し付けるものではないことを御理解頂きたい。

長すぎるナビはうざいか

結論から言うと、長すぎるからうざいということはない。長すぎるということは、公開している文章(ドキュメント)の数が多いということになる。うざいと感じるのは、ナビのリンク文字がよほど解りづらいということに起因するだろう。確かに、サイト更新を続ければ必然的にナビゲーション(目次)も増え、容量も増える。低速・貧弱環境ではうざいと感じるのは仕方のないことだ。しかし、ナビの要約やリンク言葉を明瞭にするといった工夫を行えば少なくともナビが長過ぎる為にわかりにくくなる、というようなことにはなりえない。

視覚的にうるさいだろうか

視覚的にうるさいということは則ち、これもまた、あまりにも膨大な数のリンクが存在するということになる。しかし、これは作り手のセンスの問題でありナビの本質とは無関係だろう。例えばYahoo! JAPANなどの画面を埋め尽くすナビは至上最悪だというのは火を見るより明らかだ。前述したが、いかに要約することができるかということがポイントとなるだろう。

 

サイト・マップが有益なナビゲーションとなる。つまりナビ=マップ。だとすれば、サイト・マップを完璧(わかりやすく、つかいやすく)につくればナビゲーションというものはそれで事足りることになるのだ。

ナビゲーションと文書との結合

ナビゲーションと文書とを繋ぐ(リンクする)方法は通常はアンカー(a要素)で行うが、head内にリンク要素を付けることで対応するブラウザの機能を使ってジャンプすることも可能だ。当然、ブラウザの機能に依存するのでこれだけに頼るのはどうかと思う。将来的にlink要素をサイドバーなりに表示してジャンプできるようなブラウザがシェアを占めれば有用だとは思うが、どちらにせよサイトマップのような規模の大きなリンク集を作るには不適当だろう。ディレクトリ構造も解りづらい。[参考:iCabを極める]

話を戻すが、文書のナビには大枠、「大」「小」の2つがある。そして読者の要求も2種類。則ち、連続するA・B・Cの3文書があった場合、A→B→Cの順序通り(あるいは逆行してC→B→A)に読みたい場合と、A→C(あるいはC→A)と順序は無視して読みたい場合。この2種類だ。

この両方を満たすナビがサイト・マップであることはもうお分かりであろう。そしてこのサイト・マップが『大ナビ』に該当する。そして、ある一定のジャンルについての文書を複数(2ファイル以上のドキュメント)記述した場合には原則として前後関係が存在する。その関係は単に初回更新の順であったり、膨大なテキスト量を分散させたものであるかもしれない。そして、いずれの文書にも存在すべきナビは「前へ」か「次へ」の2つである。本で例えるならば、めくるか戻すか。(前述したlink要素にもprev(前へ)next(次へ)という値が存在する。)これが『小ナビ』である。

1ジャンルの文書群を『小ナビ』でグループ化し、グループ化された文書群を『大ナビ』でグループ化する。

しつこいようだが、完璧なサイト・マップはナビゲーションも完璧に近い。サイト・マップ(目次)が常駐できる仕組みはペーパーメディアには(目次をコピーでもしない限り)不可能なシステムなのである。これはホームページをある程度作り込んだ人なら容易に理解できよう。そして、それを満たす為に効果的な手段として『フレーム』は存在する。フレームのもたらす恩恵とは、移動距離の短縮にある。

そして、その『常駐』という「いつでも好きな(読みたい)文書を呼び出すことができる」状態は人の心理に作用し『読ませる』ことができよう。テキスト制作者は第三者に『読んでもらいたい』から『書く』のだ。

正しいフレームサイトの利便性(ナビゲーション)の追求と提供。これが当サイトのテーマである。

論理的な結合

このサイトの生い立ちは、とある掲示板で議論が起こり(というよりも一方的に筆者が起こしたものだが)派生したのが理由だが、その掲示板にとあるサイトからの引用が投稿されたので紹介(引用)並びに筆者のそれ対する意見を記しておく。

Personnel - 2001/7/1〜15 - agenda - Personnel

私は、サイト構造を明確に示したナビゲーションの存在は、ウェブサイトの構築に是非とも必要なものだと思っている。各文書が、全体構造を示したファイルと直接結び付くことで、初めてウェブサイトたり得るのではないか。結果としてユーザビリティを高めることになるが、本質的な意味はそこにあるのではないかと思っている。

ところがフレームでは、サイト構造と各文書を論理的に結び付けることはできない。視覚的に結び付いていることができるのでさえ、玄関となるトップページを開いた時だけである。ゆえに私はフレームを用いてサイト構造を分離しようとは思わない。

サイト構造を明確に示したナビゲーションのくだりは、前述の通り筆者も同じ意見だ。しかし、2段落目のフレームでは、サイト構造と各文書を論理的に結び付けることはできないというのはどういうことなのだろう。そもそも論理的とはどのような理なのかを考えてみたい。

ろんり 【論理】〔logic〕
  1. 思考の形式・法則。議論や思考を進める道筋・論法。
  2. 認識対象の間に存在する脈絡・構造。

言うまでもなく、サイト構造と各文書を繋ぐのはナビゲーション、つまりリンクである。論理的な結び付きというのは非常に難しい言葉である。その論理の定義がどのようなものなのかははっきりと記されていないが、つまり、全体構造を示したファイルと直接結び付くこと=論理的結合、だと推測する。だとすれば、フレームでは、サイト構造と各文書を論理的に結び付けることはできないというのは疑問を残す言い回しだ。何故ならば、文書を結び付ける手段は先述したように『リンク』なのだから。フレームは無関係である。

全体構造を示したファイルを表示するフレームは、むしろ、サイト構造と各文書を論理的に結び付けることをより効果的に表現するものだと、私は思う。もちろん、非フレーム状況下において論理的に結び付かないということではない。

また、ゆえに私はフレームを用いてサイト構造を分離しようとは思わないというのも比較対象外であろう。構造をもったサイトが『分離』できるはずがない。フレームであろうとそうでなかろうと、呼び出された文書に目次を表示させるアンカー(小ナビ)が一つあれば、それは論理的に結び付いているのだ。

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